れうのひとりごつ

22歳。好酸球性多発血管炎性肉芽腫症(EGPA)を患っています。

入院45日目

 

2024年12月27日

 

AM7:15起床。看護師さんに起こされる。

夜中の3時以降ぐっすり寝れたので、久々にスッキリとした朝を迎えることが出来た。

微熱はあるが、それでもいつもより体が軽い。

 

今日からステロイドが30mg→25mgへ減量となる。

 

▼今日の血糖値

朝→81mg/dL

昼→113mg/dL

夜→116mg/dL

 

朝ごはんを取り終え、コインランドリーへ向かう。5日分の溜まりに溜まった洗濯物を洗濯機に入れようとするも、全部入り切らないのでモコモコのパーカーは諦めた。

手荷物になるので着て病室へ帰る。

 

病棟へ戻り、歯磨きを済ませて洗濯物が止まるまでの間、再び眠りについた。

30分だけ、、、と思っていると主治医がカーテン越しに私の名前を呼んでいる。

あれから1時間以上経っていた。

洗濯物を乾燥機に放り込みに行かねばならない。

主治医から、退院後の食生活の話をされた。

パンやうどん、砂糖のたっぷり入った飲料水といった糖分が多く含まれる食べ物は控えるように言われる。

体重も、退院直後から再入院の時にまでに-1kgを目指そうとの事。退院期間はもろ正月なので太る気しかしない。

 

コインランドリーへ行って乾燥機を回し、売店へ行って病室へ帰ると、再び主治医がいた。

ドキッとした。

トートバッグの中にはバームクーヘンやアイスクリームが入っている。

昨日の夜、37.7℃あったことが気にかかって症状を聞きに来てくれたらしい。

胸をなで下ろした。

 

10時半、朝のバイタルチェックがある。

体温計を測ると37.8℃の文字が。昨日より少し高い。

なんだか同じ病室内でも熱がある人が多い。

しかし、インフルとコロナは陰性らしい。

 

11時、薬剤師さんから袋にパンパンに入った退院時の薬を渡される。

この大量の薬を家に帰ると、起床時・朝・昼・夜・寝る前に仕分けないといけないとなると絶望である。

 

11時半、屋上のコインランドリーへ洗濯物を取りに行く。

まだほんのりと温かかったが、何故かタンクトップだけが破れて黒く汚れていて悲しかった。今日で任務を終えてもらう。

 

11時50分、耳鼻科に呼ばれた。

あと10分ちょっとでお昼ご飯なのに、、、!

今すぐに行けば間に合うのではないかと思い、耳鼻科のある2階へ直行する。

口の中を診てもらうと、カビの兆候があるらしい。

またカビかい。一日4回歯磨きしてるのに。

一昨日くらいから続いている後鼻漏に混ざる血の出血元は不明らしい。

弱い抗菌薬であるクラリスロマイシンは継続。

右副鼻腔の様子については、年明けに頚部CTを撮って見てみるとの事。

 

12時20分、ギリギリお昼ご飯の時間に間に合った。

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今日のお昼はシチューだった。

ハヤシライスやカレーは軟菜食では出ないのに、シチューは出るのは何故なんだろう。

白ご飯がいつもより気持ち多めで嬉しかった。

 

昼食を取り終え洗濯物を片付け終わり、昼寝タイムに入った。

熱があるのでアイスノンが気持ちいい。

 

16時、お茶をしようと気合を入れて、新しい紙コップと頂いたルピシアの「Wedding」の茶葉を取りだす。

茶が淹れ終わり、ノワールをお共に食べようとすると、カーテンが開いた。

「こんにちはー、リハビリです」

いつも気合を入れてお茶を淹れ、何かをさあ食べようという時にカーテンが開く。

もはや運命的タイミング。

少し時間をズラしてもらった。

 

リハビリ室に行くと、先週発注していたロフストランドクラッチを義肢業者の方が届けてくれた。

病院で使っているものより軽くて使いやすい。

足の運動とロフストで階段を昇り降りする練習をする。

思いのほか、使いこなすのが難しい。

 

 

消灯後、何やら病室が慌ただしくなった。

同じ病室の1人がインフルだったらしい。

その人を隔離するため、ベッドやテレビ棚が運ばれていく。

常に解放されていた病室のドアもピシャリと閉められてしまった。

 

なんでよりによって同室で、しかも退院間近なんだと怒りが込み上げてきた。

しかも、インフルの媒介者であろうその患者の面会者は、毎日のように病室に入ってはべらべらと喋っていた。

 

24時間毎日カーテン1枚でしか仕切られていない部屋でともに過ごしていて、感染していない方が不思議なんじゃないんだろうかとも思う。

 

あぁぁ、、、タイミングが悪すぎる。