診断から1年経って
2025年11月17日
お久しぶりです。
今年の3月30日の投稿から早いもので8か月以上空いてしまいました、、、
そして昨年11月12日に "好酸球性多発血管炎性肉芽腫症" と診断されて、1年が経過しました。
卒論も提出して無事に大学も卒業することができ、このままでは厳しいと散々いわれていた学芸員資格も取得することができました!
(ご報告が遅くなりすみません、、、)
現在は大学院生として、新たな土地で勉学に励んでいます。
4回生の後期に差し掛かったタイミングで病に臥せてしまい、果たして卒業できるのか???といった不安を抱えながら入院生活を3ヶ月ほど送っていましたが、無事に卒業できて安堵の気持ちでいっぱいでした。
治療をしてくださった先生や看護師、看護助手、理学療法士の方々には、感謝してもしきれないです。
そして、友達から実際に会ったことの無い方まで、たくさんの方からいただいた励ましのメッセージは、ずっと心の支えとなっていました。
本当にありがとうございます。
*
近状はというと、まだ波はありますが元気に日常を送っております!
引越してからは病院も変わり、はじめの頃は主治医が定まらず毎回先生が変わったりといった感じでしたが、5月頃に主治医が定まりました。
紹介状を握りしめて膠原病内科・耳鼻科・眼科・泌尿器科を回り、色んな検査を受けて引越し後はかなり大変だった記憶があります笑
通院の他にも、5月末と9月末〜10月頭にかけて2回、1週間ほど入院でガンマグロブリンの治療をしてもらってました。


1枚目が5月で、2枚目が9月の時の点滴ルートなのですが、手首だと動かすと痛いし手が使いづらいし、お風呂入ると保護してもびしょ濡れになるしで結構大変でした汗
9月のときも、最初は手首が刺しやすいからここでもいい?って看護師さんに聞かれたんですけど、無理言って前腕の真ん中辺りにしてもらいました(^^;
そのほうが痛みも無いし手も動かしやすくてお風呂も濡れないしで、とても有難かったです。
ガンマグロブリンを投与してもらうと、やっぱり身体の調子がよくなります。
手足の痺れが軽減されるとだいぶ楽ですね。
ただ、毎回投与中とそのあとしばらく熱が出るのが少し辛いですが、、、
以前、日本血液製剤機構の方とお話しする機会があったのですが、血液から血漿を取り出すのってすごく難しい技術だそうで、現代医療の凄みを痛感しました。
献血に協力してくださっている方、血液製剤を行ってくださる方、本当にありがとうございます。
一度全血の輸血を行ってもらったため、今後一生は献血できないのですが、また違う形で恩を返せたらと思います。
転院後も入院病棟は血液内科と同じ棟でした。
今まで、治療を諦めて自宅へ帰って行った人、希望を捨てずに前向きに病気と向き合って海外の医療機関にも頼ってきた人、寛解したのに再発してしまい絶望の淵に立っている人、、、色んな患者さんと出会ってきました。
看護師さんが「辛いときは辛いって言えばいいんだよ」って言ってくれたときは、心の奥底に閉じ込めていた複雑な思いがグワッと溢れてきたのを覚えています。
この病気自体の死亡率は低くても、免疫抑制剤を飲んでいるがゆえに、がんになるリスクは避けられない。
いずれは自分も通るかもしれない道。
覚悟はできている。
*
転院して、関節の痛みがずっと続いてサポーターが必要になったほか、朝起きたとき関節がこわばってすぐに歩けなかったり、関節の炎症の数値も高いということから、夏ごろからリウマチの薬も飲み始めました。
ステロイドも朝に全部飲んでいたのを1mg夜に分散させることで、こわばりと痛みはだいぶ改善されてます。
ヌーカラ自己注射ですが、なんと自分で自宅で打つようになりました泣
看護師さんが打ってくれていた時は安心感もあり、心の準備もしやすかったのですが、いざ自宅で一人で打つとなると躊躇してなかなか打てません(^^;
相変わらず痛いのなんの、、、
音楽聴いたり、Youtubeで好きな動画見て気を紛らわしながら打ってます笑
*
大学院生になって研究で遠方に出張に行くことが多くなりました。
本州最南端に行ったり、釜石付近に行ったり…今まで行ったことの無い場所へ沢山行きました。
夏ごろまでは出張後は決まって体調が悪くなっていたのですが、最近は口内炎が口の中全体にできるくらい(カビではないらしい)で、白血球に "H" が付くことは無くなりました。
ステロイドも3月末の11mgから、11月の受診でやっと8mgまで減りました(^^v)
研究と並行して就活も行っているわけですが、なかなか大変ですね、、、
前主治医に就職についてお悩み相談した際、「病気について理解して受け入れてくれる会社に入るといいよ」とアドバイスをいただいたのですが、、、
実際、面接で「持病や配慮が必要なことはありますか?」って聞かれたとき、ド正直に話したら見事に落とされました...泣
「障がい者枠」はあっても「難病枠」が無い企業がほとんどで、やっぱり偽って進んでいくしかないという現実を知りました(; ;)
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長らくブログを更新していなかった(というか見いてもいなかった)ため、そろそろ閉鎖しようかずっと検討していました。
でも、更新が止まっていてもなお、有難いことにこのブログに遊びに来てくれていた人が多くいました。そもそも、ブログを始めたのは、同じ病気を抱えている人の情報源に少しでもなりたい、この "好酸球性多発血管炎性肉芽腫" という稀有な病気を色んな人に知ってもらいたかったからです。
ブログを開設して記録を残してきた理由をすっかりと忘れていました。
更新頻度は高くないですが、また遊びに来てくださるとうれしいです。
それではまた(^^)/~~~
再入院7日目 退院と出発
2025年3月30日
午前6時10分、看護師さんのおはようございますの挨拶で目が覚めた。
今日は退院日なので、血圧や体温などのバイタルチェックをしてもらう。
体温が37.3℃と微熱だが、怠さは無いので大丈夫でしょうとのこと。
右腕のネームバンドも切ってもらった。

最後の朝ごはん。ミネストローネっぽいのが美味しかった。
喜ばしい時や辛い時に飲むと決めている、ルピシアのキャラメル・ラムの紅茶。ティーバッグをコップに入れてお湯を注ぎ、じっくりと味わって飲んだ。

パジャマから外着に着替え、メイクを済ませて荷物をパッキングしていく。
午前9時半、日中の看護師さんが退院の書類を渡しに来てくれた。
昨日、主治医から紹介状が小冊子できるくらいに分厚いよ~と聞いていたのだが、貰った封筒は何だか薄い。
看護師さんに聞いてみると、どうやらそれで合っているらしい。
先生のジョークだったのかな。
忘れ物が無いか退院チェックも無事に終わり、最後にナースステーションの方へ向かった。
挨拶をして、病棟宛のメッセージカードを看護師さんに渡し、エレベーターで地上階へと降りる。
外に出ると、入院前には咲いていなかった桜が開花していた。

去年の秋の紅葉は上からしか眺められなかったけど、春の桜は間近で見ることが出来た。
寒の戻りでまだ少し肌寒いが、春らしさを感じられた。
そして退院した日の夜、新生活先へと出発した。
再入院6日目 ガンマグロブリン5日目
2025年3月29日
午前6時10分、目が覚めると部屋の電気は既に付いていた。
給湯室へお湯を汲みにいき、また病室に戻る。
朝食を食べ終わったあと、最後のシャワーを浴びに行った。
浴室は湯舟は張れないものの貸し切りプチ銭湯のようで結構気に入っており、シャワーに入れる火・木・土が楽しみでもあった。
午前9時過ぎ、シャワーを浴びドライヤーをして病室に戻ると、主治医が来てくれた。
昨年11月12日に初めて診察してもらってからずっと今まで、面倒を見て下さったのも今日で最後。
「将来、結婚して子供も持って、素敵な家庭を築いてね」
そう言ってもらい、別れの握手をして主治医は病室を後にした。
午前10時、日中担当の看護師さんがバイタルチェックに来てくれた。
座ったままだとやはり血圧が高い、、、
ベッドのリクライニングを元に戻し、横になってから再度測ってもらうと、正常範囲に収まった。
そして、最後のガンマグロブリンが始まった。
が、しかし、なかなか点滴が落ちない。
落ちてきたことを確認し姿勢を変えた瞬間、滴下数が少ないと輸液ポンプがエラー音を出す。
エアー針を追加してもらい、ようやくグロブリンが体内へと流れていった。
今日は1瓶ごとに進めていくことに。
最初、パソコンを触っていたのだが眠たくなり、横になっていると
「○○さーん、お昼ご飯ですよ~」
と言われる声で目が覚めた。
輸液ポンプの流量もいつの間にか30ml/hから70ml/hに変わっており、看護師さんが来てくれたのも全く気づかなかった。

↑最後のお昼ご飯
15時、無事に5日間にわたるガンマグロブリンも終了。
点滴針も抜針され、左手が開放された。
コインランドリーに向かい、洗濯物をしようとすると、落し物コーナーに見覚えのある下着が置いてある。
前回の洗濯の際に回収し忘れていたみたい。
最後の夜ご飯には好物のプリンが出て嬉しかった。

午後20時頃、以前の病棟のNさんが最後に会いに来てくれた。
昨年11月の入院したての辛かった時の話や、病棟移動後の話、これからの話、、、色々な話をすることが出来て嬉しかった。
何より、以前退院の際に書いた手紙が宝物だと言って貰えて、本当に嬉しかった。
今の病棟でお世話になったYさんも顔を出しに来てくれた。
こんなにも素敵な看護師さんに出会えて、本当によかった。
7日間の入院も気づけばもう6日目。
一週間、あっという間だった。
再入院5日目 ガンマグロブリン4日目
2025年3月28日
午前6時に目が覚めた。
今日は生理のせいか体がだるい。
洗顔とお湯汲みを済まして、朝食の時間まで2度寝する。
リエゾン看護師さんが来てくれた。
3度目の正直。今回は処置中でも何でもないときに来てくださったため、ゆっくりお話しすることができた。
昨年12月、ステロイドが高容量で精神面で辛かった時に支えてくださったおかげで、苦しかった時期も何とか乗り越えることができた。
他人との接し方や、自分自身との接し方など、様々な生きるコツを教えてもらった。
卒論も出せて、無事に学士の学位記を貰えたのも、リエゾン看護師さんが崩壊したメンタルを立て直してくれたからだと思う。
前回の入院の際、直接手紙を渡せなかったので、最後転院前にお会い出来て本当に良かった。
その後、入れ替わりで主治医が来てくれた。
「今までかかった医療費でベンツ買えるよ~(ニッコリ)」
医療制度が充実している日本で本当によかったと切に思った。
そして、退院後からステロイドが12mg→11mgへ変更になるとのこと。
午前10時、ガンマグロブリンを投入する前にバイタルチェックをしてもらっていると、看護師さんから手に発疹があることを指摘された。指摘されるまで気づいておらず、無意識に搔いていたみたい。
ガンマグロブリンによる副作用の可能性も否定できないため、お昼ごろに皮膚科で診てもらうことになった。
グロブリンが開始されたものの、ベッドから起き上がった瞬間またアラーム音が鳴った。看護師さんを呼びに行こうとカーテンに手を差し伸べると、近くにいた看護師さんがすぐに駆けつけてくれた。
どうやらテープで固定された部分の点滴の針が折れ曲がっているらしい。
テープをはがして針の折れ曲がりを直してもらい、また貼りなおしてもらうと点滴が落ちるようになった。
給湯室に行くと看護助手さんに出会った。
前と今の病棟の看護助手さんと色々お話をした。
「まだまだ生きないといけないんだから、新しいところでも頑張って!」
「人生これからだから、たくさん楽しみなさいよ~!」
人生の先輩から励ましのお言葉をたくさん頂いて、これから先も頑張ろうと思った。
助手さんと話し終えた後、またアラーム音が鳴った。
ちょうどナースステーションの前だったので、看護師さん二人に助けてもらった。
S字フックで高低差を出して流れやすくし、エアー針を4本くらい入れてもらって、なんとか流れるようになった。
前の病棟のTさんとも喋った。
前回会った時より元気そうでよかったと言ってもらえた。
具体的な値で「○kg痩せました!」と言いたかったが残念ながらそれは叶わず泣(微量しか痩せてない)
だが、前より太ってはいないのでそこは安心。
色んな方とたくさん話し終え、昼食を取った後、皮膚科へ向かった。
皮膚科に行くのは前回入院前の昨年11/12以来。
発疹も少しだけで、足裏には出ていないので問題ないでしょうとのことで、ステロイド軟膏のマイザーと保湿剤のケラチナミンクリームを塗るようにと言われた。
昨年10月に受診したとき、皮膚科の先生がただの湿疹ではなさそうと疑い、皮膚生検をしてくださったおかげで、EGPAの確定診断に至ることができた。
皮膚科の先生に話を聞くと、10月末の生検後、発熱などの諸々の症状が出る前に、院長にEGPAではないかと言ったものの臨床所見が揃っていないから違うだろうと言われていたらしい。昨年11月下旬に院長を率いた先生方5人くらいがぞろぞろと部屋に来たのも、なんだか納得がいった気がする。
皮膚科から戻り、グロブリンが終わる15時過ぎまで仮眠を取ることにした。
グロブリン4日目も無事終了し、残すところあと1日となった。
今回の入院ではリハビリは無かったが、以前お世話になっていた理学療法士(PT)さんと会えるチャンスも今日で最後。(土日は休み)
PTさんが居そうな6~8階を探しに歩くも見つからない。
結局、6階のリハビリ室にいる別のPTさんに内線で居場所を聞いてもらい、退勤前に病室に来てくださることになった。
内科のある階に帰る途中、ずっと探していたPTさんを見つけた。入れ違いに階を移動していたみたい。
病室で暫く待機していると、PTさんが来てくれた。
入院初日に少し話したくらいなので、他にも色々話すことができてよかった。
「新しいところは美味しいものいっぱいあるから、食べすぎには気をつけてね」
と釘を刺された。食べすぎ注意。
今回も退院は休日なので、平日限定のクレジットカード決済可能な自動精算機が使えない。そのため、事務の方に請求書を出してもらい、金曜日の今日お支払いすることに。
前回の支払額が30万円程だったため、一週間の入院とはいえ身構えていたのだが、今回の入院費は食費だけで5千円だった。今月は特定疾患の上限金額に達していた為らしい。合計金額を見てみると100万円を超えている。すごい額だ。。。
昨日の午後から同じ部屋に入った婆がなかなかに癖が強い。
寝ている時以外ずっと独り言を言うし、看護師さんや医師との会話も成立しない。
ここはどこかと尋ねられると、空手道場だという。
夕食前になると、何やらパイプ椅子をガンガン鳴らし始めた。工事でもしているのかというレベルの騒音。
そして、婆のベッド横の床には、踏むとナースステーションへ連絡がいくマットが敷いてある。そんなことお構いなしにお茶を全部こぼして浸水させるのだが。
消灯後も1時間ほど一人で喋っている。しかも、その婆のお向かいさんも婆の話し声に反応して歯のない口でもごもごと喋っている。もはやカオス状態。
昨年12月にも同じ部屋で、ナースステーションに嘆願書を出した方が一番マシに思えるくらい。(入院31日目 心が爆発しそうなんだ - れうのひとりごつ)
夜勤の看護師さんにも、この部屋かなりうるさいけど大丈夫ですかと心配された。
色んな人がいるんだなーと、広い心を持つことにした。
再入院4日目 ガンマグロブリン3日目
2025年3月27日
午前5時過ぎ起床。
朝一番の8時半からシャワーを浴びる。
主治医が来てくれた。しかし、今日は倦怠感と眠気が強く、起き上がれない。。。横になったまま、話を聞くことにした。
ステロイドによる精神症状の第2波がもう時期来るかもしれないことを伝えられた。
第1波はステロイドが高容量だった昨年12月に。2月・3月は卒論や引越しで忙しく、そっちの方に気を取られていたが、またステロイドによるメンタルが不安定な時期が来るらしい。
今日はガンマグロブリン大量療法3日目。
点滴の前に、点滴針の交換の日なので刺し替えてもらう。
刺し変えてもらっている時に、リエゾン看護師さんが来てくださったが、タイミングが悪くまたまた後日に、、、
腕をじっくり見てもらい、見事に一発で入れてくだった。
昨日、輸液ポンプが散々エラー音を鳴らしていたこともあり、今日は1瓶ずつ投与することになった。

20時頃、4日間便秘だったのが解消されるとともに2ヶ月半ぶりにやっと生理が来た。
お腹が張って苦しかったのも和らいで、気持ちも軽くなった。
再入院3日目 ガンマグロブリン2日目
2025年3月26日
午前4時に目が覚める。
昨日の夜、消灯とともに寝たためか、早く起きすぎてしまった。
点灯後、顔を洗って朝食の時間まで二度寝。
朝食を取り終え、また寝てしまった。
なんだか今日は眠気がすごいし、体がだるい。
おまけにエンドキサンの後の吐き気が襲ってきている。
午前10時前、主治医が来てくれた。
生理が2ヶ月半以上来ていないのと、乳腺から分泌物が出るため、乳腺外来を紹介してもらった。
午前11時、乳腺外来の診察前のエコーに呼ばれた。
グロブリンの瓶の刺し口が抜けないよう、看護師さんに付き添われながら慎重にエコー室まで向かう。
何とか無事に到着。20分ほどでエコーは終了した。
エコーから帰ってくると、ベッドの位置が窓際に変わっていた。
広くて開放感があり嬉しい。
が、しかし、ベッドのリクライニングができなくなってしまっていた。コンセントの接続部分を見てもちゃんとつながっているのに、リモコンの電源がつかない。。。
午後12時半、お昼ご飯を食べているときに乳腺外来に呼ばれた。
エコーの結果、悪いものはなさそうとのこと。
ステロイドによるホルモンバランスの乱れが原因の可能性が高いらしい。
とりあえず乳腺に関しては様子見となった。
午後14時、zoomでミーティングに参加していると、リエゾン看護師さんが来てくれた。しかし、聖徳太子ではないので会議を聞きながらリエゾン看護師さんとお話することもできず。また後日来てもらうことにした。
グロブリン3・4瓶目になるとなぜかうまく滴下しなくなり、輸液ポンプがすぐエラー音を鳴らすようになった。
午後15時過ぎ、何とかグロブリン2日目が終了。
その後はゆっくり過ごして、3日目を終えた。
再入院2日目 ガンマグロブリン1日目
2025年3月25日
午前6時過ぎ、点灯とともに目が覚めた。
正直まだ眠いけど、顔を洗ってお湯を汲みに行く。
今日から5日間、ガンマグロブリン大量療法が始まる。
午前10時頃開始予定なので、朝食後にトップバッターでシャワーを済ませる。
ガンマグロブリンとは、人の血液中にあるタンパク質で、免疫に関与して多くのウイルス、細菌等を中和させる働きがある。
EGPAによる足先の痺れが引くことを期待して、今回初めて治療を行うことになった。
↓ガンマグロブリンの入った瓶。

阪神淡路大震災以降、多くの病院で瓶タイプからパックタイプの入れ物に変わったらしいのだが、グロブリンはなぜか瓶のままらしい。
グロブリンは献血して頂いた血液から出来ているため、献血して頂いた方々には感謝だ。
人様のタンパク質の為、アレルギー反応が出にくいよう流量を30ml/h→70ml/h→150ml/hと一時間毎に上げて4時間かけて投与される。
これを一日4瓶、5日間連続で投入されていく。
点滴棒を押してトイレに行こうとすると、ちょっとした段差でグロブリンの瓶の刺し口が抜けてしまった。
慌てて近くに居た看護師さんに助けてもらう。
今度は輸液ポンプのアラームが鳴ってしまう。
グロブリンは粘性が高く、点滴が落ちにくいらしい。エアー針を刺して流れやすくしてもらった。
お隣の婆さんだが、洗濯ばさみで固定してもやはりカーテンを開けられてしまう。
その上、訳もなく引き出しや扉を開け閉めしたり、カトラリーセットをガチャガチャしたりでなかなか騒がしい。
明日、窓際の方が別の階に移動になるとのことで、そちらに移らせていただくことにした。
15時過ぎ、無事にガンマグロブリン1日目が終了。
その後はゆっくりとして過ごし、再入院2日目を終えた。